2026年度採択プログラム
・採択者:関口真生
・活動テーマ「誰もが表現できる場を増やす」
・使途:国内外での観劇費用、旅費
<採択理由>
文化芸術政策(演劇分野)を、産業的観点や鑑賞の市場規模ではなく、市民の主体的な活動という観点から捉える試みに対して。
<採択者からのコメント>
「それって本当に必要?」自分自身に問い続けてしまった。俳優を続けること、何千円も払って面白いか分からない舞台を見に行くこと、結果に繋がらない努力をすること――。
コロナ禍で、受験勉強と高校の演劇専攻の卒業公演に板挟みになっていた頃、母に「演劇なんて、そんな無駄なことに時間を割くのはやめて、もっと有意義なことをしなさい」と言われた。
ああ、そうか。無駄なことをしてはいけない。私のやっていることが無駄ではないことを、誰かに、そして自分自身に証明しなければならない。その切迫感が、ずっと私の中にあった。
そんな中、大学に進学してから私は早稲田小劇場どらま館の制作部(スタッフ)として、演劇に関連した企画を立ち上げる側に回った。俳優ではない演劇との関わり方も面白く、個人の関心を起点に、「これは面白い」と思うものを形にし、たとえ少人数でも、それに共感して集まってくれることがやりがいだった。
制作部の経験で一番大きかったのは、個々の関心は皆の関心かもしれない、と思えたことだ。自分のくだらない関心や興味は誰かを巻き込める可能性がある。大きな希望だった。おそらくこれが、私が「自分の内側」だけでなく、「公」に向けて物事を考え始めた最初のきっかけだった。
現在、私は松下政経塾という場所で、「誰もが表現できる社会」をテーマに研修を続けている。自己紹介で「文化や芸術を専門にしています」と伝えると、多くの人から「芸術は難しくてよく分からない」という言葉をもらう。
それは、ある意味で当然の反応だと思う。例えば、私は野球をほとんどやったことがないし、ルールも詳しく知らない。だから、野球中継を見ても、その面白さを十分に味わえない。しかし野球が好きな人はたくさんいる。プロを目指したことがなくても、子どもの頃や学生時代に「やったことがある」人が多いからではないだろうか。自分の身体で経験したことがあるからこそ、プロのプレーの面白さや凄さを実感できる。
文化庁が実施している「文化に関する世論調査」(令和5年度)によれば、過去1年間に鑑賞以外の文化芸術活動を「実践した・支援した」人の割合は、13パーセントにとどまっている。
文化芸術の面白さが伝わりにくいのは、その価値そのものが低いからではなく、「自分がやった経験」を持つ人があまりにも少ないからではないだろうか。経験の乏しさは、理解の乏しさにつながる。だからこそ私は、文化芸術の面白さを伝えるために、誰もが表現の主体となれる可能性を模索したい。ストリートピアノやカラオケのように、まず自分がやってみる体験から、表現の主体となる方法を探りたい。
表現の主体となることで、単に文化芸術の種を広げるだけでなく、人々の承認欲求を満たすことができる。人は誰しも認められたいという欲求を持っているが、それを受け止める健全な場は少ない。その結果、感情の行き場がなく、孤独感からSNSで他者を批判したり、犯罪などの極端な形で表れることもある。誰もが表現できる社会は、人の承認欲求の受け皿になり、社会は今より円滑に、カラフルになるのではないだろうか。
これまで自分のことしか考えてこなかった私が、松下政経塾で国や社会のことを大真面目に考えることになり、そのスケールの大きさに何度もめまいがして、私はリーダーに向かないのではと思うのだが、文化芸術を取り巻く現状を見ていると、現場と政策ビジョンの接続の必要性や若いリーダーの不足を痛感するばかりで、自分もわずかながら力になりたい。
なんとなく馴染んでいた「芸術文化」ではなく、あえて基本法に合わせて「文化芸術」という言葉を使うことにしたのも、表現の発展そのものだけでなく、文化芸術振興が社会にどのような好影響をもたらすのかを、国や地方公共団体の視点も含めて説明できる人でありたいと思ったからだ。
はからずも「文化芸術が無駄でない証明」に長い時間をかけることになり、なぜかいま松下政経塾にいる。そろそろ「無駄でない証明」なんて、無駄なことに時間を割くのはやめて、もっと有意義な「誰もが表現できる場を増やすこと」に専念したい。
2026.1.31
関口真生
コメント
コメントを投稿