2025年 私設スカラシップは6年目
私設スカラシップは6年目を迎えました
「コロナ禍」が明けてから実感とは対照的に、ライブエンターテイメント産業の市場規模は「復活」し、今後も拡大の兆しを見せている。いわゆる「コンテンツ産業」の市場規模は順調に成長し、海外への輸出にも成功している。日本からほど遠いモロッコに住んでいる私でさえ、「日本はコンテンツ産業の国だ」と思えるほど、海外進出は進んでおり、日本はエンターテイメントに強い国になった。
演劇もまた変わった。“古い”世代の私にとっては、演劇というのは間口の広い、誰でもが参入することができて、趣味にするにも手ごろでお金のかからない文化活動だった(かく言う私は地域の鑑賞教室に参加していた)。しかし今は、容姿端麗で経済的に余裕のある人の、華やかな趣味に変わってきている。これは、演劇がある種「クラシック化」「制度化」したのであり、先人たちの努力の賜物であると言えるが、国立劇場の悲劇、新国立劇場の(相変わらずの)旧態依然とした体制(あるいは失敗)を筆頭に演劇が「公益性」あるいは「運動」からはほど遠いものになってしまったことを表している。
医療や教育、研究等、あらゆる分野で起きている「メディアミックス」的複雑さに、文化産業は追いついていかなくてはならない。介護×演劇、医療×ドラマ教育、漫画原作×舞台化……。かつて批判された「多目的ホールは無目的ホール」的スーパーフラットな「体験型経済」は、もはや水商売に身売りしている状態である。「推し活」をする客を「沼らせる」ことが成功なのである。
芸事とは古来よりそうであった。……そうも言えるかもしれないが、芸は身を助ける、とも考えるべきであろう。芸は「アート」ではない。芸は身体に宿り、価値を生産する源であり、不可逆である。それは教育であり、文化であり、身振りである。芸の世界は厳しいが、一度離れても戻ろうと思えばいつでも戻って来れるし、そこで得たものは無くなったりしない。型はあっても形はない。祭りのあるところに芸がある。
もうヨーロッパを追いかける必要はない。SNS動画やショート動画、ディープフェイクというのは、ある意味では、人類史上これまでにないほどに「生の表現」「身体表現」を必要としている時代である。誰しもが(インターネットの海に)「ダイブ」したがっているのだ。形のないものが、ここまで求められる時代を、誰が想像しえただろうか。ディープフェイクの時代にこそ、改めて強調したい。「芸は身を助ける」のだと。
横田宇雄
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